[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
青山 義雄
明治27年(1894)生〜平成8年(1996)歿。神奈川県横須賀市出身
国画会客員。春陽会会員(後に辞退)同会の昭和奨励賞受賞。中村彝賞受賞。
フランス滞在中巨匠マティスに師事、薫陶を受ける。明治30年(1902)から明治43年(1910)まで13年間北海道根室に住す。
大正2年(1913)再び北海道根室市に戻って鮭の人工ふ化場で検卵の仕事、昆布からヨードを取り出す技師のような仕事、知床半島で鮭の密漁監視、高杉晋作の甥、武藤某が支配人をしていた根室牧場の牧夫、植別小学校の代用教員等をし、大正9年(1920)まで北海道に居住した。北海道滞在は19年間。
8歳から27歳まで、少年時代、青年時代の大部分を北海道で過ごしたことは、青山の画家人生に、フランス生活と共に大きな影響を与えた。
父義実、母なをの長男。父は海軍省の書記官。明治36年(1902)父の転勤により、三重県鳥羽より根室町立花咲小学校に転入。
明治39年(1906)年北海道庁立根室商業学校(北海道立根室高等学校)に入学が14歳(明治41年、1909)絵画に興味を持ち中退。
明治45年(1912)上京し、日本水彩画研究所に通う。大正10年(1921)フランスに渡る。
パリの日本人会館2階に住み込み、書記をかねながら、絵の勉強をする。フランス滞在中は日本からやって来る、多くの画家達の面倒を見た。林倭衛、硲伊之助、小出楢重、坂本繁二郎、土田麦僊、小野竹喬など。
また関東大震災後で東京で惨殺されたアナーキストの大杉栄もいる。
梅原龍三郎の推薦で、昭和13年(1938)第2回文部省美術展覧会(新文展)で審査員となる。審査員として根室を描いた「北洋落日」を出品。昭和55年(1980)札幌今井デパートで「南仏を描く 青山義雄展」開催。
その他個展多数回。昭和63年(1988)神奈川県立近代美術館にて「青山義雄—地中海的感性の詩人展」開催。